日々のつらつら

高校時代の適応障害、転学を経て、いまは養護教諭と保育士の免許勉強中の大学生

その人

今年は秋祭りにその人は来なかった

私の過去の秋祭りの記憶をガサゴソと遡ってみても

その人のいない秋祭りの記憶はひとつもない。

 

なのに。なのに。

何故か屋台蔵からでてきたやっさには

その人が着てた、間違いなくその人の法被がハンガーにクリップで止めてかけてありました

まるでそれはうちの村はその人と一緒にやっさを担ぐのだという覚悟のようでした

 

なんでいないんでしょうか。あなたの愛息子

太鼓叩いてたで?

あなたの奥さん2人の甘えん坊ときかん坊頑張って育ててるで?

まあ、知ってるよな。きっと誰よりも近くにおるんやと思う

 

でもどうしても信じられないや

ほんまにこれからやっさかかへんの

今日何回も空目した

その人が子ども抱っこしとるように見えて

その人が楽しそうにビデオ観とるように見えて

その人が知り合いと談笑しとるように見えて

何回も声掛けたくなった

でも次の瞬間にはその空目はなおってまう

現実つきつけられるねん

 

人って、ほんまに最後の時は最後やって意識させてくれへんのやな

あの年、あの祭りが最期って知ってたら

今までのありがとうもなんでやねんも

ぜんぶぜーんぶ伝えられたのにな

 

 

 

その人が着てた法被は

結局その人の奥さんが羽織ってて

 

傷ついていいの
それほどに 想える人と
そんな たったひとりと
出会えた証しだから

どのポケットも 思い出でいっぱいの
その服に あえて 手を通そうよ
どのポケットも あなたの愛が
いっしょに詰まってたことに 気づきなさい

どのポケットも 思い出でいっぱいの

その服を もう 脱いでみようよ
どの思い出も あなたの愛と
いっしょだからだいじょうぶ 逝かせてあげなさい

かならず
心から笑える日は やって来るから

ついほんの数ヶ月前、生で聴いたドリの歌

「ねえ」が頭をよぎって離れなくて

 

どうかその人の奥さん、お母さん、弟、弟が

どうか、どうが幸せでありますようにと

願わずにはいられない2019年秋季例大祭の宵宮でした

わんだーべいびーず

DREAMS COME TRUE

のコンサートへ行って参りました

4年に1度のWONDERLAND(幅広い人に向けたコンサート)に親戚がとってくれたチケットでいってきました

人生初の京セラドームでした。まずは規模の大きさにビビりました。え、山Pの国際ホールとか水ボンのシアターエートーとかの100倍あるやん

これが最初の感想

物販の列もえげつなかったです

 

 

そしてわたしはそこで吉田美和さんという人の

魅力にほんの少しだけ触れることが出来ました

歌う時はもうそれはそれは心にグッとくる、伝わるように歌うことが出来る

でもひとたび曲が終わり水分補給の間やMCでびっくりするほど可愛い"みわちゃん"が登場する

私は一夜、正確に言えば数時間で彼女の渦に飲み込まれたような気がしました、かっこいいのにかわいい、、、

 

そしてちょこちょこ垣間見える美和ちゃんとまさとさんの良い関係性

きっと2人で色んなこと乗り越えてきたんだろうなあ、30周年とWonderland(4年にちいど)が重なったことでより感極まってるんだろうなあ

今までのいきさつをなにも知らない私ですらそれを身をもって感じました。

 

どうやらドリカムの世界では

お客さんのことをBABYというらしい

複数形でBABY's

ワンダーランドのお客さんは

WandererBABY's

 

また会おうねーー!!Wonderbaby's!!!

ぜったいだよー!!!!!って、言われてしまったので、きっと私はまたWondeboy'sとして吉田美和さんに会いに行っているでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホントのホントは、SMAPのMr.Sを重ねてしまってどうしようもなかったです。SMAPは5年前、ここでコンサートをしていたんだ、あそこから退場したんだよ、ここにあのステージがあったんだよ、全部言えるのにその世界を生で見ることは叶わなかった。こんなに曲数たくさんしってるのにコンサートで口ずさむことはできなかった

それがどうにもやるせなく、なによりせっかくドリカムのコンサートに来てるのにSMAPが頭から離れない私がすごく嫌でした

 

でも吉田美和さんに惚れたのはほんとう。

これから沼にハマっていくのではないでしょうか?

母校

今日はテスト期間中の金曜日ということで

ひと休みしてきました

第2の母校に行ってきました。

 

"母校"が卒業した学校のことを言うなら

"第2の母校"は本当の母のような学校のこと

という認識をしている私です

 

私が卒業したのは通信制の高校で

半年ほどしか在籍しなかったこともあり、

どこか機械的なイメージをもっています。

中の人の考え方はとても柔軟で生徒も多種多様やけど、どこか会社としての側面をもっているようなそんな感じを今でも持っています。

 

今日行ったのは、通信制の高校に転学する前、2年と2ヶ月通い続けた公立の高校でした。

 

その高校を訪れるのは3月の卒業報告以来。

なんだかあたたかかったんです

実は今年度から

私がお世話になった先生方はほとんど遠方への異動があり、ほんの数人になってしまいました

 

なのになぜ、あたたかいと感じることができたのだろう。古くさい校舎のせい?物理的にエアコンがないから?どれでもなく

それは多分、私が知っているその学校でお世話になった先生方や友達のぬくもりなんじゃないかと思うのです。

この学校は私に色々なことを教えてくれました、友達との出会い、人生で初めての人間関係での悩み、助けてくれる人との出会い

そのどれもが、いまのこの「私」を形づくっている基礎なのです。

ほんとうに、"母なる学校"なのです

 

 

けど時々思うん。

わたしはそこでお世話になった先生も一生忘れん、友達とも絶対離れへん。

でも向こうが私のことを忘れた時、もう離れてもいいかなって思った瞬間が、私は怖くて仕方がない。

 

大学生にもなると、今までのように物理的距離が近い友達ばかりではなく、近かったのに離れてしまった子も多い。しかもお互いやることは膨大で心身の余裕も無いに等しい。

そんな中で連絡を取り合い、予定を合わせ、会って話す、ご飯食べる、というのがこんなにも難しいことなんか、って日々実感してるん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あと最後に弱音。

わたしは人の相談に乗るのがホンマに下手くそやと思う。傾聴して受容して伝えて安全を確保頭ではわかっとんのにいざ相談内容を聞くと上手くアドバイスできひん。わたしって養護教諭になれるんかなあ、いや、その前にちゃんとしたなりたい大人になれるんやろか。

 

現実世界では将来に関してマイナスなことは言わないようにしてるのでここだけはいいかなと思ってかきましてよ。

 

テスト期間

ただ今絶賛のテスト期間中でございます。

高校入試以来の勉強というところでしょうか、1年、いや2年生の前期まではまだ勉強しとったかな?というわけでちゃんとするテスト勉強なんて3年ぶりなわけで。

 

数年ぶりにちゃんと受けるテストは思ったより手応えがあります。

でも何より困るのはテストまともに受けてなさすぎて手応えが正しいのかどうかも鈍ってて分からへんところ。

先生達が出るところ丁寧に教えてくれるからなのか、わたしのしらみつぶしの勉強法がいいのか、なんだかわからんけどするする解けてる、いい点が取れそうな手応えがあるのです

本当に取れてるのかはホンマにわからん。23日まで結果はお預けなのはほんまに辛い、、

 

そして、

なんだかよく分からないけど

テストとテスト勉強が楽しくてしょうがない、いや、しんどいのは人並みにしんどい。

でもやればやるだけ結果がついてくるのが楽しいんかも。

覚えれば覚えるだけテストでするする答えれる時間に余裕がある科目が多いからゆっくり見直して考え直せる

 

それともやっぱり興味があることを学んでるからなんだろうか。、保育のこと面白いなあと思ってるからだろうか。

(座学はこれでいいけど実習はこんな訳にはいかん実習までにやせよう体力つけよう絶対に)

 

 

以上、勉強が楽しい、テスト手応えあり、

というめちゃくちゃ態度がでかい日記でした。

これで再試あったら笑ってやってくれ。。。

最近のごちゃごちゃ

大学生になって3ヶ月。わたしって甘いところで生きてきとるなあと思う日々なわけで。

 

一人暮らしもしておらず自炊もしない

バイトもろくにせずしても失敗ばっかり

かといって勉強しとるか聞かれたらその答えは即答でNo

今まで人間関係で上手くいかなかったこともなければ男女の関係になった人もいない

私って何して生きてきたんやろう、と日々少し虚しい気持ちでいます

 

私の周りの大切な友達は、それぞれに悩んでる。家庭環境、恋愛、友達との関係、人との接し方、一人暮らしのやりくりの仕方、、

そのどれもに力になってあげられない。経験がないばかりに聞くことしか出来ない私が無力で無力で。

私が持ってるもの全てなげうってでも力になってあげたいの。

 

でもそれは綺麗事。それをしてきたから高校で学校不適応を起こしてしまったわけで。

 

 

人にあげる優しさは素晴らしいけど全てを捧げる必要は無い自分に優しくしないと人には優しくできひんのよ

これ岩井せんせの言葉。森せんせの言葉。

 

それをわかって実践しようとしてる私。

人に優しさをあげた分自分にちょっと返したあげよう

腹が立った時にはちょっとその場で角が立たん程度に口に出してみよう

そしたらそのあとはズルズル引きずらんとこう

 

 

成長したよね?

死にたい死にたい言うてた頃の私はもういない。

いないけど、あれも私やった。紛れもなく本物のわたしだった。

 

転校したあの頃からちょうど1年

そんなことを思ってる私でした

 

 

 

(以下、もっとどうでもいい話)

 

 

 

 

今日、学校の講義で男の先生が話してくれた。

 

先生の息子さんが学校行くのを渋ってしまったと。親や先生がいくら言葉をかけてもあまり響いてないように見える、友達からの言葉で動きかけてる 

私はそうじゃないと思うなあ、

ほんまにしんどい時は周りの声が何も聞こえないの。頭では聞こうと思っても身体が遮断するんよ、ほとんどの人が経験したことないと思うけど。

 

ほんま1番しんどい頃よく見とった夢

私がひとりで真っ黒な中俯いて座ってて

その周りにはバリアがあって、外で誰が叫んでくれてるのはわかるけどその声はこっちまで届かんくて、手を伸ばしてくれてもバリアは超えられない

 

いま思えばそのバリアは体が自分自身を守るための反射やったんかもなあ、

いつ治るかって

自分の心と体が充電がいっぱいになって身体がもう大丈夫だ!って判断してくれた時。

 

元気になった時もっかい見たその夢は

真っ暗な空間が空の下になってて、友達も親も先生もみんな私の周りで笑ってくれとった

 

あの先生の息子くんにもいつかそんな日が来ることを祈って

今はダメでもいつかその未来は開けるから。

そしてそのいつかはそう遠くない未来のはず 

 

ゆめ

5月のとある月曜日、弟と二人で留守番してた夜。私たちは近所の人が亡くなったそうだ、と連絡をうけました。それがお年を召して、とか最近はご病気で、という方なら、寂しいけれど「そっか、お疲れさまでした。」と私の中で区切りをつけます。

でも今回はそんなスッキリいかなかったんです。なんなら今もいってない。

 

37歳だったんです、その人。

そして、3人の小さな息子達がいました

 

私が小さい頃から私を可愛がってくれ、

口癖は「こりす、結婚しよ」でした。

私が小さい頃と言うと大学生ぐらいでしょうからね、わたしは「うん、大きくなったら結婚しよう!」なーんて。結婚するまでの間毎年秋祭りには写真を撮ろうねって。だから私の携帯の中にはツーショットがいっぱいです。

 

最近では朝の時間が被って、息子くんの送迎のために車を運転する彼とすれ違っていました。

知らせを受けた日の前の金曜日も。

 

 知らせを受けたとき、「、、、は?」と思いました。そんな訳ある?まだまだ1番上の子7歳下の子3歳やのに。これからもっとやることあったのに。

その日は家族が必死で「死ぬ訳ない!だって○○くんやもん!死ぬわけないよ!!」

って叫んでました。

 

けど現実は冷酷で。ほんとに亡くなってた。

お通夜にいってきた。見たことのない車の多さ、会場にはいりきらず、立ち見を余儀なくされる参列者。「ほら、愛されとったんやで、人気者。早すぎるわ」って私は言ってやりました

 

彼は優しすぎたんでしょうね。幸せすぎたんでしょうね。人に愛をあげすぎたんでしょう。

そしたらそれを見た神様は、手元に置きたくなっちゃった。突然亡くなるってそういうことではないでしょうか。と私は思いました

 

 

そんなお通夜から2週間と少し。

私の部屋にどこからが、虫が入ってきました

いつもなら殺虫剤をまくなり叩くなりして

処理をするのに、何故かその日はそれはしてはいけない気がしたんです。これが彼なのではないかと直感していました。

来てくれたんや、ありがとう。

私はそういいながら虫を外に放ちました。

 

彼が会いに来てくれた。めっちゃ嬉しかった。

やのになんと、昨日の夜から今日の朝にかけて

彼が夢に会いに来てくれました。

私と、彼と、彼の奥さん

3人でお茶してました。

そしたら彼が言うんです「おれ、お茶しながらいっつもこりすのこと思い出すねん」って

他にもなんか言った気がしてるけど起きて覚えてるのはこの一言だけ。

何よりも嬉しい一言やったからかな。

 

奥さんと一緒に夢に出てきた。

奥さんとずーっと、まだまだ一緒におりたかってんな。

七七日まで暇せんようにね

 

 

 

なにかと闘う全ての人々

どうしてもこの想いを誰かに発散したくて

書きます(ブログって基本そんなもんよね)

 

今日バイト先のセンパイとカラオケに行ってきました。

先輩といってもバイト先の本社の社員さんです

その先輩はもうめちゃくちゃジャニーズが好きで、全般ではなくひとつのグループのひとりのメンバーが。いままでその人が好きな少し変な人だと思っていました

 

けど、のめり込むにはそれだけの大きなストレスや疲れがありました

 

私のアルバイト先は

聞いてびっくりするようなことが行われている職場でした

子どもみたいなことをする大人がこの世の中にはまだまだいるんですね

それにわたしの先輩はずっと闘ってきたそうです。職種上パートさんが多い職場の中たった一人の社員として闘ってきたそうです

 

いじめられたこともいびられたことも

ストレスから声が出なくなったこともあったそうです

上司からの罵詈雑言でお昼休みに悔しくてこっそり泣いたこともあるそうです。

 

そんなことがまかり通る会社ってあるんや、とびっくりしました、という

2019.05.16の追記