日々のつらつら

高校時代の適応障害、転学を経て、いまは養護教諭と保育士の免許勉強中の大学生

スクーリングを通して

 

あの島に行くと人生観がかわる

転学した当初からそう言われ続けてきました。

 

スクーリング直前はすごくたくさんの緊張と

ほんの少しの楽しみで心も頭もいっぱいでした

 

 

行ってみた感想はたったひとつ。

 

"楽しかった"

 

 

スケジュール紹介の時はあえて書かなかったけど、屋久島で過ごす最後の夜。

 

それまでなんともなかったのに、就寝の時刻になった途端吐き気がしてきてなかなか治まってくれませんでした。

しまいめにはトイレでえづいて少し嘔吐する始末。そこに心配してきてくれた先生に付き添われ水を1口飲み、椅子に座っていました。

もう落ち着こうと思ったのに体も心も落ち着いてくれなくて、過呼吸と痙攣と涙がぶわーって。

もう明日帰るだけやのに。いや、帰るだけやからこそ気が抜けたんやと思います。

そこから落ち着くまで先生達が寝る部屋で1時間くらいお話してました。

その先生にはほんとに助けられた。その先生はAっていう呼び名で私と地元も近くて喋る言葉も似てる。すごく心が安らぎました。

 

こんなしんどいこともありました。

 

やけど。

最後に残るのは

「楽しかった」

これだけです。

 

いろんな人と出会いました。

感動することもいっぱいあったし

しんどいこともあった

それでも、私はたのしかった。

 

スクーリングに行ったことで、

さすがに人生観は変わらなかったけど

たくさんのものを心の中に刻み込んだ気がします。

初対面の人と仲良くなることの感動、喜び

現地の先生との出会い、関わり

共同生活を通しての思いやり

大自然の中の私たち人間

 

 

あの島の全てを、私は忘れたくない。

しんどかったことも楽しかったことも

校舎のにおいも木の感じも

お世話になった先生やコーチも

仲良くなった友達も

全部ぜーんぶ覚えときたいし覚えといて欲しい

 

転学する前の学校でお世話になった先生の言葉

"別に今の人らと縁切れる訳ちゃう

新しい人らと繋がれるんやで"

ほんまのほんまにそうなりました。

 

前の学校でお世話になってた先生は今でもよくお話します、会いに行きます。

今の学校でお世話になってる先生も、私の事助けてくれます。

遠く離れた離島にも、私のことを助けてくれる、信頼している先生ができました。

 

またお金が貯まったら、あの島に自分のお金で行ってみたい。

もし、もし本当に機会があるなら、

あの島で「先生」として、生徒達と関わることが出来たらいいなあなんて、今はそう思ってます。

 

 

私はいま、この学校でとても楽しくやっています。

スクーリングから帰ってきた今、

この学校の全てが愛おしい。

先生も友達も椅子も机も。

前の学校に入学したことも、今の学校に転学してきたことも、全ては今の自分を成り立たせる大切な要素やったんやな、と今はそう思います。

 

とりあえず今のところは3月に卒業できるよう

歩いていくつもりでいます。