日々のつらつら

高校時代の適応障害、転学を経て、いまは養護教諭と保育士の免許勉強中の大学生

最近のごちゃごちゃ

大学生になって3ヶ月。わたしって甘いところで生きてきとるなあと思う日々なわけで。

 

一人暮らしもしておらず自炊もしない

バイトもろくにせずしても失敗ばっかり

かといって勉強しとるか聞かれたらその答えは即答でNo

今まで人間関係で上手くいかなかったこともなければ男女の関係になった人もいない

私って何して生きてきたんやろう、と日々少し虚しい気持ちでいます

 

私の周りの大切な友達は、それぞれに悩んでる。家庭環境、恋愛、友達との関係、人との接し方、一人暮らしのやりくりの仕方、、

そのどれもに力になってあげられない。経験がないばかりに聞くことしか出来ない私が無力で無力で。

私が持ってるもの全てなげうってでも力になってあげたいの。

 

でもそれは綺麗事。それをしてきたから高校で学校不適応を起こしてしまったわけで。

 

 

人にあげる優しさは素晴らしいけど全てを捧げる必要は無い自分に優しくしないと人には優しくできひんのよ

これ岩井せんせの言葉。森せんせの言葉。

 

それをわかって実践しようとしてる私。

人に優しさをあげた分自分にちょっと返したあげよう

腹が立った時にはちょっとその場で角が立たん程度に口に出してみよう

そしたらそのあとはズルズル引きずらんとこう

 

 

成長したよね?

死にたい死にたい言うてた頃の私はもういない。

いないけど、あれも私やった。紛れもなく本物のわたしだった。

 

転校したあの頃からちょうど1年

そんなことを思ってる私でした

 

 

 

(以下、もっとどうでもいい話)

 

 

 

 

今日、学校の講義で男の先生が話してくれた。

 

先生の息子さんが学校行くのを渋ってしまったと。親や先生がいくら言葉をかけてもあまり響いてないように見える、友達からの言葉で動きかけてる 

私はそうじゃないと思うなあ、

ほんまにしんどい時は周りの声が何も聞こえないの。頭では聞こうと思っても身体が遮断するんよ、ほとんどの人が経験したことないと思うけど。

 

ほんま1番しんどい頃よく見とった夢

私がひとりで真っ黒な中俯いて座ってて

その周りにはバリアがあって、外で誰が叫んでくれてるのはわかるけどその声はこっちまで届かんくて、手を伸ばしてくれてもバリアは超えられない

 

いま思えばそのバリアは体が自分自身を守るための反射やったんかもなあ、

いつ治るかって

自分の心と体が充電がいっぱいになって身体がもう大丈夫だ!って判断してくれた時。

 

元気になった時もっかい見たその夢は

真っ暗な空間が空の下になってて、友達も親も先生もみんな私の周りで笑ってくれとった

 

あの先生の息子くんにもいつかそんな日が来ることを祈って

今はダメでもいつかその未来は開けるから。

そしてそのいつかはそう遠くない未来のはず