日々の雑談

ただの高校生です。病んでることもあります。そんな私の日常を吐き出します。

ソツギョウ

ここ数日は卒業式ラッシュ

ここらの公立高校はみーんな卒業式

そんな中、例に漏れず私の通っていた前籍校

でも卒業式がありました

インスタのタイムラインが卒業証書でいっぱい

後輩達への感謝でいっぱい

花束でいっぱい

 

それをみてると気づく

自分の中の拭いきれない想い

"私もあの学校卒業したかった"

 

私の学校の卒業式が18日後なのも悪いと思う

別に転学を後悔してる訳ではない

あの時はそれが最善の選択やったし

あれがないと今の自分はおらんし

あれが私の中で糧となってるし

今の学校の方がのびのびやれてる

 

なのになんやろう

"私もそこにおるはずやったのに"

そんな思いが消しては現れ、消しては現れる

 

今の学校にはだれもいない

3年間仲良くしてきた友達も

私のおった部活の可愛い後輩も

どん底の時手を差し伸べてくれた先生も

 

混ぜてよ、私もそっち混ぜてよ

 

 

産休をとってる私の大好きな保健室の先生

こっそりと前籍校の卒業式いっててんて

んで前籍校の現養護教諭に託け物

私と、もうひとり転学した私の友達に

ありがとう、心からありがとう

私の事、忘れてなかったんや

もう先生が勤めとった学校の生徒じゃないのにもう何ヶ月も会ってないのに

覚えてくれとったんやな

いまでも私は

先生からの手紙読み返して

よし頑張ろって思ってるよ

 

 

卒業式の写真見る度モヤモヤモヤモヤ

どうしても落ち込むし

どうしても泣きそうになる

出来ることなら 入学した学校を

卒業したかった

それが普通にできると思っとったんや

けどそれは普通じゃなくて

かけがえのないことやったんやな

 

 

とかそんなこと言うとるけど

今の学校大好きやし

同志な友達もおるし大好きな先生もおる

雰囲気にのまれて卒業式で大泣きするのは

想像に難くない

 

早く卒業したいなあ

 

 

 

しんどい

私がここを開くのは決まって余裕が無い時です

 

余裕がなくてどんどん堕ちていくのに

それをわかっているのに誰にも頼れないときです。なにしてるんやろね。

 

今は私の周りにしんどい人が多すぎる。

受験が終わらずしんどい人、始めたばかりの自分のお店で頑張りすぎて疲れてる人、

家の中でも学校でもどこかピリピリして緊張感が続いている。

みんな私に話してくれるのはすごい嬉しいことやし話すのも大事なことってわかっとる。

だからその子を守るためにはありがとうな、って感じ。

 

でもそのせいで私が言い出したい不安、不満、愚痴、その他にも相談ごととか、、

言い出しにくい。

普段から言い出せる方ではないけど余裕がなくなった時はもっと言い出せなくなる。

なぜか、なぜなのか。

人にさらけ出すのが怖いのか、後戻りしたと呆れられるのが怖いのか、否、私自身が怖いのだ。

いまにすがりついて生きている私は、

やっと堕ちた穴から這い出て普通の人になれたと思っている私は、

逆戻りするのがこわいのだ。

 

人にも気使って、家族でさえ気使って、

どんどん自分が死んでいく。自分が作った「天使の自分」像に自分が縛り付けられて動けなくなっていく。し

「天使の自分」像

誰からも愛され、誰をも愛する私

人の愚痴を聞いてあげる私

嫌なことがあっても反論しない私

母が怒らないよう空気を敏感に読み取る私

 

知ってる、間違ってるのは。

私は人間であって天使ではない。

わかってる。

 

 

 

 

 

 

どうやって止めるんやったっけ。

この無限ループ。こんな最近のことでさえ忘れて生きている私はもしかしたら

養護教諭には向いてないのかもしれない。

生徒の力になんてなれないのかもしれない。

この経験が糧になる、と信頼する先生は言ってくれたけどはたしてそうなのだろうか。

 

寝れない、寝たい、

学校に行きたい、行きたくない

早く大学生になりたい、なりたくない

 

堂々巡りは続く

私とは何なのか、

なんのために生まれてきたのか。

 

ここまで考えて思った

私、あの子と同じやん

あまりこのようなことを言いすぎるのは辞めよう、気をつけようと、話す度に思うあの子。

 

誰でも持っている1面なんよな。

 

 

p.s.走り書き見切り発車です。、勢いであげます

 

 

SMAP

2019年の始まりはずっとSMAPのこと

考えていました

もうあの生放送から3年も経つんだなあって

 

2016年1.13.水曜日に解散報道の第1報がでました。その次の月曜日、1.18にスマスマで生放送がありました。報道が出てから本当に何も手につかなくて何も出来なくてSMAPの報道がある度に泣いて泣いて。

 

今になって弟達が打ち明けてくれたけど

当時の私は直ぐに泣いて怒ってSMAPのスの字も出すのをはばかる程だったそうです。、申し訳ない。。

 

もうそこら辺からあんまり記憶が無いしTwitter見るのも辛くてやめちゃったりとかして。

8.13お盆の真っ只中、リオオリンピックの最中の夜中に速報が流れました。(速報の内容は12.31で解散するというもの)

私が知ったのはその次の朝。泣いたし喚いた。

でも時間の流れは止まってくれるわけじゃなくて、直ぐに、あっというまに12月が来てしまったわけで。

 

ベストアルバムの発売があってMVのコンプリートDVDがでて、スマスマの最終回が来て。

30日に木村拓哉の、31日に中居正広のラジオでSMAPは一区切りつきました。

辛くて悔しくて泣きました。大泣きしました。

なのに、なのにあけましておめでとう、って世間は言う。おめでたくないって思ったお正月は初めてでした。

 

そんな日から3年。めちゃくちゃ時は流れてるはずやのにわたしは未だにSMAPが居ないことに納得ができないし理解できないし。

SMAPでいる5人が大好きだったので

SMAPではない5人を見ることを辞めました。

 

でも年末、タッキーがでてきた回

久々に金スマを、中居さんの番組をファンとして見ました。中居さんはいいました

 

"僕は怠った人間なので、幕引きをしっかりしなかったんです"

"ファンの方、大事です、ほんとに"

"(タッキーには)ファンの人に「、」で終わるんじゃなくて「。」で終わらせてあげて欲しい"

 

こんなことでも、口にできるようになってきたんだね、本当に、そんな、ちょっとずつ、雪解けしてきてるんじゃ、

 

年が明けてからの某ドラマ第1話。

あらすじは国民的アイドルグループの不仲説と解散報道。実は裏側ではグループのことを体を張って守ってたマネージャーさんがクビになってて、実際のグループ仲は良く、メンバー間でかばいあった結果だった。急遽グループの冠番組は生放送となり、会社の意向を跳ね除ける形で解散を生放送で宣言。その時にちらっと見えたカンペは「今日は2019年〇月〇日です。〇〇(番組名)をいつも見てくださっている皆さんにお知らせがあります」

SMAPのときとそっっくりでした。

時間帯は10時で放送局はスマスマと同じフジテレビ。

 

なにか、なにかが少しずつ変わっていっているのではないか。

なんだかそう思わずにはいられません。

 

という発散でした

 

スクーリングを通して

 

あの島に行くと人生観がかわる

転学した当初からそう言われ続けてきました。

 

スクーリング直前はすごくたくさんの緊張と

ほんの少しの楽しみで心も頭もいっぱいでした

 

 

行ってみた感想はたったひとつ。

 

"楽しかった"

 

 

スケジュール紹介の時はあえて書かなかったけど、屋久島で過ごす最後の夜。

 

それまでなんともなかったのに、就寝の時刻になった途端吐き気がしてきてなかなか治まってくれませんでした。

しまいめにはトイレでえづいて少し嘔吐する始末。そこに心配してきてくれた先生に付き添われ水を1口飲み、椅子に座っていました。

もう落ち着こうと思ったのに体も心も落ち着いてくれなくて、過呼吸と痙攣と涙がぶわーって。

もう明日帰るだけやのに。いや、帰るだけやからこそ気が抜けたんやと思います。

そこから落ち着くまで先生達が寝る部屋で1時間くらいお話してました。

その先生にはほんとに助けられた。その先生はAっていう呼び名で私と地元も近くて喋る言葉も似てる。すごく心が安らぎました。

 

こんなしんどいこともありました。

 

やけど。

最後に残るのは

「楽しかった」

これだけです。

 

いろんな人と出会いました。

感動することもいっぱいあったし

しんどいこともあった

それでも、私はたのしかった。

 

スクーリングに行ったことで、

さすがに人生観は変わらなかったけど

たくさんのものを心の中に刻み込んだ気がします。

初対面の人と仲良くなることの感動、喜び

現地の先生との出会い、関わり

共同生活を通しての思いやり

大自然の中の私たち人間

 

 

あの島の全てを、私は忘れたくない。

しんどかったことも楽しかったことも

校舎のにおいも木の感じも

お世話になった先生やコーチも

仲良くなった友達も

全部ぜーんぶ覚えときたいし覚えといて欲しい

 

転学する前の学校でお世話になった先生の言葉

"別に今の人らと縁切れる訳ちゃう

新しい人らと繋がれるんやで"

ほんまのほんまにそうなりました。

 

前の学校でお世話になってた先生は今でもよくお話します、会いに行きます。

今の学校でお世話になってる先生も、私の事助けてくれます。

遠く離れた離島にも、私のことを助けてくれる、信頼している先生ができました。

 

またお金が貯まったら、あの島に自分のお金で行ってみたい。

もし、もし本当に機会があるなら、

あの島で「先生」として、生徒達と関わることが出来たらいいなあなんて、今はそう思ってます。

 

 

私はいま、この学校でとても楽しくやっています。

スクーリングから帰ってきた今、

この学校の全てが愛おしい。

先生も友達も椅子も机も。

前の学校に入学したことも、今の学校に転学してきたことも、全ては今の自分を成り立たせる大切な要素やったんやな、と今はそう思います。

 

とりあえず今のところは3月に卒業できるよう

歩いていくつもりでいます。

 

スクーリング5日目

12/6~12/10まで行ってきた、某通信制高校のスクーリングの様子をお伝えしています。

この記事は2日目

※この記録はあくまで一例です

 

 

 

今日は5日目とは名ばかりの帰る日です。

びっくりするほどの離島で、北は仙台南は福岡までの全国のキャンパスから集まってるので朝早く出ないとその日中に家に着きません。

それなのに荷物整理と布団の現状回復と部屋の掃除と朝の化粧とヘアセットと、、って

やることはいっぱい。だから最終日だけは、

いつもより30分早く6:00起床。

ですがもう早起きに慣れてるみんなは6:00よりも早く起きてメイクしたり着替えたりしてます。

それからみんなは朝食を食べ、出発する順に集合。遠い順に第1便、第2便、第3便、、と分かれてます。

 

まずはバスに乗りフェリーの港まで、と行きたいところですがお昼ごはんを買う時間を取ってくれました。島内にいくつかしかないスーパーによりました。スーパーマーケットなのにポポちゃんが置いてありました。サンタさんが買いに来るんでしょうね、知らんけど。

 

そのあとは港につきフェリーに乗ります。

乗り込む直前まで現地の先生がお見送りに来てくれました。

 

その後家に着いたのは20時前。次の日の学校は休みました(笑)

 

まあざっとこんな感じです。

果たして誰が呼んでくれてるのか、わたしの備忘録なのか分かりませんが。。

 

ではひとまずこれで。

スクーリング4日目

12/6~12/10まで行ってきた、某通信制高校のスクーリングの様子をお伝えしています。

この記事は2日目

※この記録はあくまで一例です

 

4日目は試験です

朝から3コマ対策授業を受けてからテストです

テストは4教科まとめてのもので、40分あれば余裕で終わるくらいのものです。ちなみに選択式です。

そのあと昼食休憩が1時間弱。

 

その後

チームビルディングのクラスで集合。

ちょっとした肩慣らしをしてから5クラス合同でラストチャレンジ。

2人1組になってクラス対抗ジェスチャー伝言ゲームなどなど、、4泊5日の間で培ってきたチーム力を競います。

 

その感想を書いてその日の授業はおわりです。

が、そのあと部屋に帰ったあと、自由時間がある訳ではありませんでした。(この日のみ)

何をするかと言うと荷物整理。

ある程度荷物整理をしておかないと自由時間には入れないシステム。先生の目が光ります。

 

なぜかと言うと次の日の朝は朝早くに出発しないと行けないから。

 

そう。次の日の朝は8時半に学校を出なければいけないのです。

スクーリング3日目

12/6~12/10まで行ってきた、某通信制高校のスクーリングの様子をお伝えしています。

この記事は3日目

※この記録はあくまで一例です

 

 

3日目はアウトドア

前日に決めたコースにのっとり、行きます

コースは二つあり、

ひとつは水コース

海を見に行ったり滝を見に行ったり。

基本的にはバスに乗ってあちこちを巡ります。

もうひとつは山コース

ハイキングコースをいき、吊り橋を渡ったり

木に触れたりします。こちらはどちらかと言うとしんどいかもしれません。

私は後者の山コースに行きました。

学校がある離島は自然、特に森林が有名な場所で、最初で最後になるなら見ておきたかったからです

山コースは全体20人強、事前に決めた3班に分かれて先生が二人ずつつきます。

私は2班で女子ばっかり10人の班。

ジブリの舞台になった所があり、至る所に神秘的な雰囲気が漂っていて、惹き込まれました。

 

みんなこの光景を焼き付けたいと写真撮りまくり、なかなか進まないでいたら前の班からは引き離されるし後ろの班からはぴったりくっつかれるしで、うちの班付きの先生は焦ってました。が、私達は満喫出来ました。(笑)

その後帰ってからチームビルディングのクラスで感想を書き、夕食へ。

 

それから授業を3コマ受けてから就寝。

そろそろ疲れ始めてきたころで、なかなか寝づらくなってきました。